Fioに言わせろ!

いろいろ言わせてもらいます

子どもたちは黙って人の話を聞くことができなくなってしまっているのでは

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今、アクティブ・ラーニングがブームなんですが、、

いにしえの時代、発見学習がトレンドになるとこぞって発見学習至上主義になり、発見学習は手段の一つではなく、それ自体が目的のようになっていました。

今、アクティブ・ラーニングという実践がブームとなり、アクティブ・ラーニングがよりよい教育のための一つの手段というより、アクティブ・ラーニングそのものが目的となっている感があります。

その影響か、子どもたちは何か(それも何でもいいから)発言することが重要で、その内容やその発言に至る過程は重視されていないのではないか、ということを感じます。

とりあえず、何かをしゃべることが必要で、しゃべる前に一呼吸以上必要な子どもたちってどうしても取り残されがちになったりしませんか。

そして全体的に、人の話を黙って聞くことができなくなってませんか。

人の話を聞いて、自分の考えと掛け合わせてよりよい考え方を導き出しましょうと提言されますが、クイズ番組みたいにすぐ答えが求められるなかで、そうそう深い考え方ができるとは思えないです。

「守破離」の「破」の部分だけが求められ、「守」の部分は決定的に置き去りにされている感がするんですけどね。

アクティブ・ラーニングがなかった時代でも偉人は輩出されてきた

例えば幕末の独創的な人たちって、どんな教育を受けてきたんでしょうねぇ。
教育そのものは「守」の部分であり、そこから自分たちで話し合い、考えて「破」「離」の部分を形成していったのではないのかな、とふと考えます。

学校教育の中で、積極的に自分の考えを発表していくのはいいことなんでしょうが、その発表のための受容学習の部分はずいぶん軽視されているような感じがします。

江戸時代の藩校や寺子屋の教育内容って、「読み・書き・そろばん」が中心であり、素読や書き写すことによって重要な知識を習得していったわけです。
言わば、声を出して書物を読んだり、ひたすら書物を書き写したりして知識を習得していくのが教育の中心だったのではないかと言うことです。

そして、そのような教育の中で、幕末・明治の偉人たちは世界的な業績を残していったわけです。

今の教育と比較すると、何か変じゃないですか?

現在の教育では、知識の習得は「暗記」として重要視されずに実際の教育現場では片隅に追いやられ、子どもたちの自主的な活動こそが至高であり、最終目標であるかのように思えます。

実際に知識の習得が必要だけど知識の習得の方は軽視されている

でも実際はどうなんでしょう。
授業の場において、能動的な活動が重要視されていながら、実際のテストや入試・就職試験においては、習得された知識がものを言うことが多くはないですか。

自分で戦略的な行動を起こそうと考えるときは、それなりの基礎知識が必要であり、様々な知識を自分の頭の中で再構成することによって、その結論を得ることが多いはずです。

さらには、知識そのものばかりではなく、知識の習得の仕方や知識の活用の仕方に関する知識も、自分の試行錯誤によるものよりも、モデリングによって習得する場合の方がずっと効率的な場合があります。

今教育界で流行語になっているアクティブ・ラーニングが悪いこととは思いませんが、そういったブルーナーの発見学習の流れを組む教育を重視するあまり、有効に知識を習得していく手段に関しては、教育理論はさほど進められず、学校教師の研修において知識習得そのものの有効性とその効率的な方法(たとえばガニエのモデリングとかオーズベルの有意味受容学習)等について研究されているのかな、と思った次第です。

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知識の習得のために黙って人の話を聞く練習も必要では

子どもたちの能動的な行動を重視するあまり、「暗記」も含めて子どもたちが知識を習得することの重要性とその効率的な方法について考えず、教えない教育になってしまってませんか。

じっと座って人の話に耳を傾ける。
聞いて重要なことをメモしていく。
必要なことを覚えていく。
そういうことができずに、やたらと自己主張する子どもたちが増えているように感じるのですが、気のせいなのでしょうか。

そう言った点で、むしろ「読み・書き・そろばん」を中心した江戸の教育の方が、幕末・明治の創意工夫に富んだ人々を輩出させていたことについて、もっと考えていくべきなのではないかと思った次第です。

アクティブ・ラーニングについても、発信だけにかたよっているように感じるわけで、積極的に受信しようとする、そして取り入れた情報を精査して考えをまとめていくことも、積極的な活動として認知していくことが必要だと思います。