Fioの素敵な日々

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【音楽】蛍の光の歌詞の意味を詳しくみてみよう

蛍の光は1881(明治14)年に発表された翻訳唱歌で、もともとはスコットランド民謡に、当時東京師範学校の教員をしていた稲垣千穎(いながきちかい)が作詞しました。

歌詞は4番までありますが、3・4番は軍国主義的色彩があるということもあり、通常1・2番が卒業式等で歌われます。

蛍の光 窓の雪
ふみよむ月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
あけてぞ 今朝は 別れゆく
 
とまるも行くも 限りとて
かたみに思ふ ちよろづの
心のはしを ひとことに
さきくとばかり 歌ふなり

歌う時は、その歌詞の内容も知っておきたいということで、ちょっと詳しくみてみることにしましょう。

蛍の光 窓の雪

「蛍雪の功」として有名な中国の故事に由来しています。
「蛍雪の功」とは、苦労を重ねて学問を成し遂げることです。

中国の東晋の時代(4世紀頃)、車胤(しゃいん)は家が貧しく油を買えなかったため、夏には蛍を集めて袋に入れ、その光を書を読んで勉強したといわれています。

同じく、孫康(そんこう)も家が貧しくて灯火の油が買えず、冬には窓の外に積もる雪が月光を受けて照り返す光で勉強したということです。

二人の努力は報われて、のちに出世することになったという故事に基づいています。

車胤の故郷である中国南部にはタイワンマドボタルと呼ばれる大型の蛍がいて、これなら20匹ほどで本が読めるという話もあります。

ふみよむ月日 重ねつつ

ふみは書で、もちろん書物のことです。
苦労しながら努力して学んだのです。

「つつ」は反復・継続をあらわす接続助詞で、毎日毎日繰り返す様を表しています。

いつしか年も すぎの戸を

「いつしか」はいつのまにかと言うことです。
ふり返ってみると、いつのまにか時は過ぎていました。

あっという間に過ぎ去った時は、充実していた証かもしれません。

「年もすぎの戸を」は、「年も過ぎ」と「杉の戸を」の掛詞になっていますね。

あけてぞ 今朝は 別れゆく

「あけて」は、「年が明ける」と「戸を開ける」が重なってます。
新しい時間のドアを自分自身であけて入っていく感じがします。

「ぞ」は「別れゆく」に対する係り結びになっていて、強い決意が感じられます。
今までの自分ときっぱり別れて、新しい自分と出会おうとするようです。

とまるも行くも 限りとて

「とまるも行くも」は残る者にとっても、行く者にとっても。
「限りとて」は会うこともこれで「限り」、つまり最後かもしれません。

かたみに思ふ ちよろづの

「かたみに」は「互いに」です。
「ちよろづ」は漢字で書くと「千万」で、たくさんという意味です。

別れる人たちがお互いに抱く、数えきれないほどのあふれる思いを表します。

心のはしを ひとことに

「はし」は漢字にすると「端」で、たくさんの思いの一部をただ一言の言葉にすれば。

さきくとばかり 歌ふなり

「さきく」は「幸く」、つまり、ご無事で。お幸せに。元気でね。

別れゆく者も、残る者も、どちらも変わりなく幸せになってほしいという願いがこめられていますね。